2月27日火曜日 世田谷の木挽の記録が面白い

今朝も砥石を水に浸けて手道具準備のルーティン。タモ飾り棚の開き扉制作をしている。扉の鏡板はブックマッチで。(本を開く様に板を半分にパカッと裂いて矧ぎ合わせる方法)四方框の角は留めで。

■世田谷の木挽の記録が面白い

東京都の木材文化を知りたくて、木挽職(製材業)の歴史を調べていると、どうやら世田谷区が盛んだった事が分かる。江戸〜明治時代に、当時森林が多く残っていた世田谷区は近郊農村として栄え、木挽職人も活躍していく。

世田谷区等々力に「木といえばツネさん」と言われた「関根常五郎」という職人がいたらしい。関根家は代々九品仏浄真寺(くほんぶつじょうしんじ現存)の専門木挽職として活躍していた。ツネさんも、杣(そま)であり木挽職人の父親から木の基本を学び、チョウナやハツリの使い手に成長し、木の芯を見ることにとても長けていたらしい。それから「等々力不動(とどろきふどう)」「泉岳寺(せんがくじ)」「増上寺(ぞうじょうじ)」の建築仕事に関わって棟梁的な存在となった。

木挽という職人の性からか、木に対して仕事に対して一切手を抜かず、非常に厳しく現場に泊まり込みで仕事に打ち込んでいたらしい。最後にちょっと面白いのが、一つの現場が終わるといつも胃潰瘍になっていたらしい。(笑)そのくらい、木の仕事と本気で向き合っていたのが「ツネさん」だった。私もがんばろう♪

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