3月8日金曜日 木挽を支えた材木屋

今朝も砥石を水に浸けて、手道具準備のルーティンは変わらない。下がり棚のヤスリがけを行っている。ヤスリの後は塗装に入る。

■木挽を支えた材木屋

近世以降(16世紀末から)、一番木挽を仕事面で支えたのは材木座屋だった。そもそも材木屋は、江戸時代初期に、江戸城の建設と下町の建設に大量の木挽が集まった。次第に下町の建設が落ち着き、周辺地域に自分達が挽き貯めた木材を販売するようになったのが材木屋の始まりと言われている。都内でも、(例えば世田谷の記録)江戸時代後期以降に「材木商売」が存在しているとの事。

その後、明治の初め頃(1800年代後半)日本に製材機(手挽きから機械に)が導入され初めた。大正時代は丸鋸(まるのこ)の製材機が主流。戦後、高度成長期と建築ラッシュの木材需要に応える為に、産地に大きな製材工場が造られて帯鋸(おびのこ)が主流になる。昭和の一時期は爆発的に増加した木材業者だったけれど、現在は外材や新建材(木目調のシートを貼ったもの)など木材利用の減少で数を減らしている。

現在は木材を上手に利用する時期に入っているのだと思う。

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