今朝も砥石を水に浸けて手道具準備のルーティン。かんな刃をしっかり研いでから、飾り棚の仕上げ削りをしている。
■木挽のまわりの職人
木挽の仕事は「鍛冶屋かじや」「刃焼き職人」「ヤスリ職人」「材木屋」と関わりながら成り立っている。
・鍛冶職人
大鋸(おが)の制作に携わる職人で、製材用の大鋸は巨大なので大工鋸の鍛冶屋では作れ無かった。産地は京都伏見を発祥としているようで、そこから兵庫、土佐、新潟三条(現在も鍛冶の町)、関東では栃木県鹿沼市が主なところ。
私が住む埼玉県では個人で大鋸を作る職人が秩父と川越1人づついたと記録が残っていた。当時、「悪しき時は取り替える約定」というのがあったらしく、それだけ高価な物だったようだ!
明治の頃に、全国の農村地帯で手作業大鋸(前挽大鋸)が使われるようになったが、昭和40年頃、機械化によって製材機が導入された為最後に製造所は姿を消した。
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