今朝も砥石を水に浸けて手道具準備のルーティン。化粧棚の抽斗制作を進めている。
■江戸時代の木挽
木挽き(現在の製材士)には、原木や建築材(ハガラ材)を扱う材木屋で活躍する専門職と、農業の合間に余業として木挽をする人がいた。関東で専門職が多かったのは東京都深川、木場。その他は江戸市(現在の千代田区周辺)へ薪炭(しんたん=燃料)・野菜を中心とする物資の供給地となっていた。現在の世田谷区などは代表的な供給地で、農業の合間に木こりや木挽、林業などをする人が多かった。当時の文書をみて面白いのは、その様な職人を「農間木挽」と呼んで、農家の次男・三男が多かったらしい。ここから分かるのは、木挽や林業職人は一部の専門職人以外は兼業が多かったという事。今だけが林業で食っていけないのではなく、むしろ繁盛していたのは戦後の復興期だけで、兼業が農間が前提の業であったと考えた方が良いのである。
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