10月19日木曜日 手道具ので分かる木材不足の歴史

切る道具といえば「のこぎり」が想像できるが、古い時代ではどんな道具で切っていたのだろう、調べてみた。
奈良、平安時代までは大きい木材から板材や角材を木取る場合は、打ち割法といって楔(くさび=木材や金属で作られたV字型の道具)を打ち込んで、木理(繊維方向の木目)に沿って打ち割るという方法を採用していた。その様子は中世の神社縁起絵巻などに描写されている。写真右側、材料にまたがって楔をゲンノウで打ち込んでいる↓

その後、鎌倉、室町時代になっ中国大陸からおが(大鋸)が導入された。その背景はには打ち割法に適するような目の通った良質の材料が少なくなった事とケヤキのように堅く、目が通っていない材料を使うようになったことがあると言われている。大鋸による手びき(製材)は、製材機の帯のこや丸のこが導入される明治時代まで続いた。富嶽三十六景の大鋸びきの様子↓


法隆寺は607年頃、東大寺は752年頃(その後火事で2回失却)清水寺は798年頃(その後9回家火事で失却)に建てられている。そして1185年から始まった鎌倉時代には、良質な木材の不足。
歴史を振り返ってみると、木と人々の暮らしの関係はアンバランスだった時代が多いのだと思う。私が幼少期には木を伐る事が自然破壊だと言われた。30年程たった今は、木が伐られず森林放置が問題となっている。これからは現在の状況と向き合い、地域に合った木の使い方が必要になって来ると思う。僕は地元の山の木を使う取組を続けて行こうと思う。
制作の方は引続き枡作りをした。

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