ここはときがわ町の山奥の大野峠。大野峠から北は東秩父、西は飯能市に別れる山の頂上。風花がチラチラと舞う中、伐採の下見に来ている。山を歩きながら、何故国産材の価値が下がったままなのか、この問題を考えていた。外国材の需要、建築が和→洋に、新築着工数が減っている、など林業白書に書かれていることは理解したつもりでいるが、他にも原因がある気がしていた。その1つが「間伐材」という言葉の捉え方。日本の木は戦後に植林されたので50年〜70年。人間でいうと良い大人。この成長の過程で行われたのが間伐で、15年〜30年の周期で既に1〜2回の間伐を終えている。そう考えると間伐ピークはもう卒業しているなぁと。間伐という言葉を使う機会をもう少し減らしても良いなぁと。「間伐」という言葉からイメージできる事は、間伐材をチップに、間伐材を合板に、間伐材を燃料に、といった感じで20年程前の時代にマッチしていた気がする。今は間伐ではなくて、選択伐採と言っていきたい。成長した太い木が多くなった今の時代は、選択伐採という言葉が合ってある。どれもみんな良く育ってあるけど、これを作るならこの木を切ろう!っていう。だって15年生の木と70年生の木を切る事が同じ言葉でまとめられてたらやっぱり悲しい。人間だって年を重ねた分だけ深みがあるじゃない♪





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